主な年間祭事行事をご紹介致します。
どなた様も御参拝くださいませ。
現在は斎行されていない祭事もございますが、このページでは後世のために記録として留めておく。
祭事/行事
猿田彦大神 天保13年(1831)9月 奉納 京油小路錦 石川屋儀兵衛 元吉
恒例祭
毎月1日 午前11時より
月始祭
月始祭(つきなみさい)とは、毎月1日に行われる神事です。国家の繁栄、皇室の安泰、崇敬者の家運隆昌、毎日無事に過ごせていることに感謝し、新しい月も平穏に過ごせるように祈願します。ぜひ1日はお参りにいらしてください。
1日は社務所を9時~14時頃まで開けています。
元旦
歳旦祭
新年を祝い、皇室の繁栄と国家の隆昌を祈念し、併せて氏子・崇敬者並びに社会の繁栄と平和を祈る祭典です。
12月31日深夜〜1日
正月接待
初詣にお参りください。御守、破魔矢など授与しています。また総代会、奉賛会による甘酒接待などをご用意いたします。
※年によって内容は異なります
14日
お日待ち
床の間に八咫烏の掛軸をかかげ、日の神と仰ぎ十五日の日の出を待って拝む行事。その後神饌の一斗取りのお餅を当番が集まった人数分に切り分ける。互々直会として頂きながら歓談する。旧暦大晦日、元日祭である。
18日
斎祭 さいまつり
大歳神社に参拝後、神籬を立て斎神(八衢彦、八衢姫、久那斗乃大神)を招ぎ奉って、旧灰方町所在の家の相続人男子が身を斎い清めて「神うけ」し、一年間家に神を祀り、本人は相続人として、且つ一人前の人としての責任を神に約束する行事。成人式である。
年寄衆が作った注連を神社と当家の前に一年間掛ける。祭当日神饌を作り、本人は年寄衆に連らなって参拝する。神饌は鯛と餅、吊し柿、大根、人参、椎茸等山海野の物にお洗米、神酒、それに鯖を竹で頭から指し、逆に立てて供える。披露は古くから年寄及び親類の人も呼び歓待したが、第二次 大戦後は、かしわのすき焼きが主で、お餅、蜜柑等の撤饌を頂いてのお土産とする。上町、横町の組 と灰方町の組と二組にこの行事があったが、最近は灰方町のみに行事が残っている。この行事も昭和 62年より、相続人が年寄衆と共に神社に参拝し、神饌を供え宮司の祝詞後、当人は年寄衆に紅白 饅頭をお祝いとして渡すのみとなる。但し、当人の家には一年間注連を掛け斎神を祭る。
※現在は斎行されていない
初午の日に近い日曜日
初午祭
灰方稲荷神社の例祭。
初午(はつうま)とは、2月の最初にある午の日。711年2月の初午の日に稲荷大神が京都の稲荷山に鎮座したといわれ、五穀豊穣を祈念する神事。
中旬頃~
椿の見頃
2月中旬より3月下旬ごろまで境内の椿が見頃になります。
春分の日 午前11時より
祈年祭
春の耕作始めにあたり、五穀豊穣を祈るお祭りで、「としごいのまつり」とも呼ばれます。「とし」とは稲の美称であり、「こい」は祈りや願いで、お米を始めとする五穀の豊かな稔りを祈ることを意味します。稲の育成周期が日本人の一年といえます。
上旬
桜の見頃
ソメンヨシノ、ヤマザクラ、ヨウコウサクラなどが見頃を迎えます。
中旬から下旬
キリシマツツジの見頃
長岡天満宮のキリシマツツジ(樹齢約170年)の株を専門家が挿木で育てたものを少しづつ植樹している。
令和4年中村イクミ氏より奉納いただいた。
4月下旬から5月中旬
かやの花
栢・榧は雌雄異株の常緑針葉樹である。雄花は、枝の先端近くの葉腋に付く。雌花は、前年枝の先端から伸び始めた新梢の基部に付く。こんな所に花が咲いているとは思わないので、人目に付くことはまずない。
中旬の日曜日
境内大掃除
田植作業も一段落した季節に台風が襲来する前に減災のため御本殿、拝殿、社務所雨樋掃除を始め境内の大掃除を氏子総代で奉仕いただいている。
最終日曜日
水神祭
御祭神 水波能売神(みなはめのかみ)
明治時代に出来た灌漑用のため池です。水の恵に感謝し五穀豊穣を祈念いたします。明治池水利組合の役員皆様でお守り頂いています。早朝より池の清掃、整備を行う。
第一日曜日
八日薬師
神社建物、境内を灰方、小塩4班が一班ずつ、社前及び境内清掃奉仕する。 神前奉告祭後直会。昭和9年の台風で舞台が倒壊するまでは舞台と社務所に集い、手持弁当で御神酒を頂きながら団欒、松茸山の入札もあり終日の行事だった。芸能人に来てもらって楽しく一日を過ごしたこと
もある。本来、薬師如来は神社境内に安置していない。石作氏の菩堤寺、石作寺の本尊の名残か、あるいは灰方町の心光院にある薬師堂との関係か、神仏習合の名残かは不詳。心光院は灰方の菩提寺であることから無関係ではなさそうである。又、旧字鳥井道の南小塩寄りの地は薬師谷と言うが、これとの関連も不詳である。八朔(旧暦八月朔日)が変換されて八日薬師になった可能性もある。八朔は別名では「恃怙(じこ)の節」「たのみの節」「田面節句」などとも言う。「たのみ」は「田の実」で、これを「頼み」に通じて稲の実ったことを鑑みると、農耕の神をお祀りする当社にとっても重要な祭事なのかもしれない。
薬師如来の縁日である9月8日に斎行していたが、平成10年より第一日曜日に変更。
10日頃より
茅の輪くぐり
茅の輪をくぐることにより、心身を清め、無病息災をお祈りください。左、右、左とお回りいただき、ご参拝ください。
年によって日が異なりますが10月の2週目に奉製、11月新嘗祭まで設置。
第三日曜日 午前10時より
神輿巡行
氏子祭を奉祝し神輿(灰方地区、小塩地区)が氏子地区を練り歩きます。
第三日曜日 午前11時より
氏子祭
11時より 神事
正午より 金剛流奉納能
午後より 神賑行事
金剛流宗家による能奉納を始め、和太鼓演奏など神賑行事が行われ氏子祭を奉祝いたします。
21日 午前11時より
例祭
例祭は、年に一回行われる神社で行われる最も重要な祭礼です。例祭では、神さまの御神徳を称え、皇室のご安泰、氏子・崇敬者の繁栄、五穀豊穣などが祈られます。旧暦の9月21日に斎行されていたと記録が残っている。
中旬から下旬
かやの実収穫
栢・榧の実はオリーブに似た緑色の実で、10月には熟れた実が自然と落下し収穫を知らせます。江戸時代には栢の種から搾った油を御神灯・燈明の灯りに用いてたと伝わり、令和6年の大祭では約250年ぶりに栢の油に火を灯し、旧儀の復興を執り行う予定です。果肉は爽やかな柑橘系の香りがします。
11月中
七五三詣
3歳、5歳、7歳にあたるお子様の健やかな成長をお祈りいたします。
ご希望の方はご予約下さい。
第四日曜日 午前11時より
新嘗祭 にいなめさい
穀物の豊穣を祈る2 月の祈年祭に対し、新穀の収穫を祝うお祭りです。「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくことを意味する。祭典後、午後よりお供えしたお米で作ったポン菓子や焼き芋接待などを行っています。
※接待内容は年によって異なります。
※23日に斎行していたが、令和2年より23日の前日曜日に変更。
初旬
御火焚祭
十二月始、宮前の田の中で藁と生竹で小屋を建てて焚く。神社では祭典後、子供達に蜜柑を渡していたが、第二次大戦中から中断していた。最近は灯明から松明に火をもらって、各所の田圃で昔と同じように火焚(子供会の人々が手伝う)をしていた。
※火災の恐れもあり平成6年より中止している。
第三日曜日
注連縄奉製
古くからの慣習で、「もち米のわら」で氏子有志等により奉製いただいている。新穀が実っていたわらは、神域を示す注連縄として生まれ変わります。
31日
大祓式・除夜祭
一年を締めくくる神事です。この一年を無事に過ごせたことを感謝すると共に、心身を清め、新しい気持ちで、新年を迎えましょう。