入野神社
いりのじんじゃ
御祭神
天児屋根命/武 甕 槌 命/比売神/経津主神
鎮座地
京都市西京区大原野上羽町192
御由緒
御創建は延暦3年(784)の式内社である。明治元年村社に指定。『山城志』(18世紀前半)に「在上羽村今称春日以二蔵王寺為神宮寺専預祭事名区也」とあるが、蔵王寺が祭事に関係したことは不明。今の公民館はこの蔵王寺跡にある。官幣を受けた式内社が今の所在地は適切でないとの説が多い。 大原野は山の間に入り込んだ形をしており『万葉集』が作られた時代、入野又は納野と言い、 後淳和天皇、小塩山頂に山陵を築かれた頃より大原野と称するに至ったようである。御祭神が同じである大原野神社はもともと入野の地にあったものを移したと言われている。入野神社が大原野神社造営の時、そこにあったが現在地に移った。あるいは宇の山の地名は御山の訛であるとすれば、そこに神社があったかも知れない。また、あるいは入野神社は以前池の西側にあったと言う。
堀河院御時、百首歌奉るけるに
あづさゆみ 梓弓いる野の草の深ければ朝行く人の袖ぞ露けき
修理太夫顕季(『続詞花集』十六、雑上)
嘉承2年(1107)后の宮の歌合に菫をよめる
すみれ道遠みいり野の原のつぼ菫春の形見に摘みて帰らむ
源 顕国(『千載集』二、春下)
正治の百首の歌奉りける時
誰がための手枕にせむ小男鹿のいる野の薄穂に出でにけり
皇太后宮太夫俊成(『続後拾遺集』四、秋上)
祭事・行事
■ 歳旦祭 1月
■ 御弓(例祭) 2月初旬 旧2月22日
男子15歳になると烏帽子儀に入る。例祭でお弓をするが、1週間前から2人で練習をする。 この行事は昭和50年頃から中断しているが、現在は宮司が弓を射り邪気を祓う。
■八朔祭 9月1日
社前両側に蠟燭を立て、お千度し、当日は手持の馳走を持ち寄り、お 神酒を頂く。第二次大戦中、蠟燭が手に入らずその後中止。蠟燭台は社 前両側に置いてある。
■「イワオ」の行事 11月20日
道祖神(一般にドロクツタンと呼んでいた)の行事。神事「イワオ」 は祝うの意。11月13日から11月19日の夕刻まで前の燈籠に燈明し、御帘を掛け、前に山砂を盛って榊を立てる。20日には入野神社にも大神宮社にもお供えし、寒いため火を焚き、神酒を頂く。19日は夜通し当番が男のみで「シラムシ」を作り20日の朝「イワオ、イワオ」を連呼しながら「シラムシ」を戸々に配る。子供 の神を祝うと言うことから社前で散銭(古くは一厘)し、子供は拾って祝う。
■御火焚 11月23日
大神宮社の祭礼、又は鳥居の西で焚く「神除け」。この時当番が入野社の注連もする。 蔵王寺、涅槃像の古い掛図を今は公民館の一室に掛け、お勤めする。古い太子像があり、毎月 21日尼講の人がお勤めするが、涅槃は3月21日でお寺の僧を頼み回向する。
■除夜祭・大祓 12月末
境内社
■ 道祖神社(右) 御祭神 猿田彦命
■ 大神宮社(左) 御祭神 天照大御神
境内
境内には大きな銀杏の木がある。
石井神社
いわいじんじゃ
御祭神
磐裂神
鎮座地
京都市西京区大原野石作町586
御由緒
式内社。古代(奈良時代-平安時代)の磐坐(いわくら)信仰により、金蔵寺護摩堂の奥にある「御香泉」と呼ばれる井戸の上に創建されていた。雲生水とも言い、清冽な湧水があり、当山唯一の清泉の上に祀られ、清水を神格化した古社である。明治6年6月村社、明治10年6月延喜式内社に確定、京都府庁より達しあり、『三代実録(901) 』元慶4年(880)10月13日の条に、山城国正六位上石座神(石井=石座)に従五位下を授けたとある。『山城志』(十八世紀前半)に、「今称金蔵寺鎮守神」とある所から推して、金蔵寺は石井神社の神宮寺であったと思われる。元々は金蔵寺護摩堂の北に鎮座していた。坂本の氏子達が参拝しやすいように近くに遷座して欲しいとのことで、昭和28年に山王社のある現在地に移遷した。 石井神社跡は今も雲生水の出る岩蔵山にある。平成3年3月10日、本殿に貂が入って破損していたのを修理後、神霊を入れる厨子(ずし)を大工塚本清次氏に新調して下さり御霊を移した。
その際、棟札を確認したところ、
奉改造営 大弁財天御社 願堂寺繁栄
施主 福寿門濔祈門 田原作衛門
大工 浅田又兵衛
屋根 又右エ門
石垣 伝三郎
寛文6年(1617)と記してあった。
石井神社旧社地
金蔵寺境内の御香泉。泉を神格化しこの側に石井神社は鎮座していた。現在は寺境内に社殿の基礎が残り旧地を確認することができる。尚、現在も清水が湧き出している。
【金蔵寺】 京都市西京区大原野石作町1639
養老2年(718)元正天皇の勅願で創建された天台宗の古刹。
祭事・行事
■ 歳旦祭 1月
■ 八朔祭 9月第一日曜日 午前中清掃、午後より神事
※八朔(旧暦八月朔日)
「恃怙(じこ)の節」「たのみの節」「田面節句」などと言う。「たのみ」は田の実で、これを「頼み」に通じて稲の実ったことと、「君臣相寄る」の意に解して祝った鎌倉時代に起る江戸幕府の盛大な祝日の一つ。
■ 例祭 10月21日
■ 御火炊祭 12月14日
■ 除夜祭・大祓 12月末
境内社
■ 三王社 御祭神 大山祇神
八幡宮社
はちまんぐうしゃ
御祭神
応神天皇/天照大御神
鎮座地
京都市西京区大原野石作町40
御由緒
本殿は横穴式古墳と言われる石室の上に、拝殿と共に建てられている。神社由緒に関する諸文献は、保管総代廃家となり、引継ぎもなく惜しくも消滅した。江戸末期には寄進書、灯籠等あり、現境内地に石作神社が鎮座していたと考えられる。古墳(石作神社)は式内社である。 付近に長峰寺があり、神宮寺であったと思われる。明治までの神仏混淆時代そのままの行事(節会)がある。境内の西側の竹薮には「大神宮」と言う字名の地があり、石棺(陶棺)が出土、中に大刀があったと言う。石作神の造った石棺と思われる。 参道の東側は旧小字「段」と呼ぶが、ここに25坪位の大きさの家跡が39戸分ある。い つしか人家は分散した。昔はこの地は「上ノ町」の住居とも言う。
境内には鹿子(かご)の木(樟科)3本がある。12、13世紀のものと思われる。昭和57年「緑を守る会」で発見される。
施 主 藤原城戸長政
長宗八幡宮 御神所
播磨守 藤原武次
「長宗大明神」の銘のある御鏡が長峰寺にある。長宗が後の長峰と記し呼称するようになったのであろう。平成2年(1990)長峰節会の時、寺に鏡があり裏面に記されていたものを寺僧より写しであると手渡しされたもの。
境内
石鳥居
境内入口。斜面上に立地しており、石段の上に一の鳥居、二の鳥居と建立しています。
一の鳥居 奉納 小川 重次郎
横穴式古墳
当社の社殿の下は「八幡宮1号墳」という古墳時代後期の円墳で、横穴式石室が設けられている。
狛犬(右)
明治36年5月15日
石工 植本二?吉
狛犬(左)
大阪 木村 亀吉
畑 栄五郎
八幡神の神使が鳩とされていることから境内には「狛鳩」や「鳩の彫刻」など鳩の造形物がある。
奉納 畑 勘助
祭事・行事
■ 節会 1月11日
氏子お千度の中、祝詞、玉串の神社祭事後、全員長峰寺に集まる。正面主座に宮司と僧が座り、両側前に町内の長老から若者までが年齢順に席し、当番の人の「お勤め」挨拶後、神酒を頂き、夕飯を共にする。当家(近くの人も手伝うと言う)が手造の料理をする。それぞれの膳に味付お揚げ一枚を二つ折にし、その上に水菜をのせた一皿、大根・人参の膾に蜜柑半分を乗せた一皿があり、味噌汁のお替わりはいくらでも可である。別に牛蒡の胡麻あえ、辛子のきいた水菜は大鉢に盛って出す。この馳走で頂く御飯は茶碗山盛だであり、お隣と話している間に又山盛に盛られ、すべて食べ干すのが習慣であった。近年は食べられるだけ頂くことになった。節会は宮廷 で節目その他公事の集会に饌を群臣に賜った行事の主旨から始まったのだろうか。当家の男子、烏帽子儀である。
■ 初卯祭 2月2回目の卯の日に近い日曜日
正月の最初の卯の日に行う祭礼。八幡神の誕生を祝う祭礼で、平安時代中期頃から始まる。当社の歳旦祭にあたる。新饌の大きな鯛を直ぐ撤饌し、当家が料理して全員で直会を行う。
■ 放生会 9月15日に近い日曜日
養老仲間から始まった殺生禁断の思想と思われる。当社でいつから始まったか判らない。直食としてお供えしたスルメを裂いて全員集合した社務所で神酒を頂き、手持料理にて歓談する。平成8年頃より神社で祭典し、本殿の回りをお千度するのみとなった。
■ 例祭 10月21日
■ 除夜祭 12月末
いずれも1戸から1人出席し、午前中境内の手入清掃をし、 午後4時頃より祭典を行う。
特殊神饌
八幡宮社の神饌は、他5社には見られない神饌である。これも神仏習合の名残であろう。備忘録の為記しておく。祭事により時節の野菜(人参、大根、水菜、芋茎等)を2cm角に切りそろえ鋳型に組む。神前にお神酒と山盛ご飯とするめを添えて供える。「おかもち」には明治34年と記す。
境内社
■ 山王社 御祭神 国常立尊
■ 山神社 御祭神 大山祇神
※山神社は平成30年9月の台風21号により大木が根元より倒れ、社をなぎ倒し再建が不可能となり平成30年11月山王社に合祀した。
早尾神社
はやおじんじゃ
御祭神
国常立之命
相殿
猿田彦命/応神天皇
鎮座地
京都市西京区大原野灰谷町丸尾1(公図1284番地)
御由緒
元々灰谷のこの地にあったが、氏子数が少く管理不充分の理由から明治11年8月大歳神社境内に移遷されたが、昭和20年に氏子数が戻り本殿新築後、また現在地に遷座した。 この地周辺は小塩山の麓にあり王朝時代に貴族の狩場として桓武天皇もしばしば足を運ばれた所であった。古くは石作郷と呼ばれ石作大連を祀った石作神社と菩提寺であった石作寺があったと伝わる。旧本殿棟札に天正18年(1590)卯月11日と記されていた。 灯籠には元文2年(1736)と弘化2年(1844)とあり。 平成元年1月14日桧の鳥居建立(伊勢の神宮より御用材を頂く) 、神社参道の整備(両事業は大工塚本清次氏による)
天正十八寅庚年卯月十一日
大工 藤原宗継杣太郎左エ門
奉 皆造早雄大明神御殿
天下泰平國土安穏氏子繁盛祈所
神主 藤原朝臣正良敬白
灰谷庄老若 施主
四方 乃 國中 仁 大倭日髙見 乃 國乎安國 止 定奉天下津岩根 仁 宮柱太敷立髙天乃原 仁 千本髙知 亙 吾皇御孫 乃 尊 乃 美豆 乃 御舎 仁 仕奉 天 天 乃 御蔭日 御蔭 乃 隣座 天 安國 止 平介久所食知 牟
棟上遷宮札
修理前早尾神社棟札写 縦 1尺4寸9分(約56.62cm)×横 2寸3分(約8.8 cm)
裏面
表面
境内
石灯籠(右)
早尾大明神
弘化2年(1844)以降判別不能
石灯籠(左)
早尾大明神御寶前
元文2(1737)丁巳年正月吉日
狛犬(右)
主
野瀬喜右衛門
狛犬(左)
願
安政6(1859)年未歳
桓武天皇石碑と役行者小角祠
役行者小角は、白鳳時代霊地大峰山を開いたとされ、石作郷とも縁が深い。その石像は山麓に安置されていたが、平成2年御神託により桓武天皇の御霊代と共にこの丘陵地に遷座されました。この役行者の尊い御心を昭和天皇より(武蔵野陵に て)御託宣がありました。
久方の平安の森眺むれば まがもさけえむ仕え奉らむ 昭和天皇
※「まが」わざわい・罪・けがれの意
祭事・行事
■ 歳旦祭 1月
■ 例祭 10月21日
■ 御火炊祭・髪置祭 12月第2周目の日曜日
稲荷社の前で火を炊き、直食としてお供えしたスルメとみかんで神酒を頂く。
■ 除夜祭・大祓 12月末
境内社
■ 稲荷社 御祭神 宇迦之御魂神
※早尾神社鎮座地がGooglemapの表示と少し異なる
松尾神社
まつおじんじゃ
御祭神
大山咋神
鎮座地
京都市西京区大原野外畑町63
御由緒
創建年月、由緒共に不明であるが、文明2年(1480)、松尾大社より分霊した由。元々この地は宿坊だったと総代より聞く。元総代畑茂市氏は氏の本家畑菊之助の宅の俵丞の先祖の時に宮遷したと伝えられている。(※平成8年松尾大社宮司佐古一洌様に関係事項調査依頼した結果) 平成6年度に御本殿前の灯籠一対を新調している。
平成30年9月の台風21号により大杉2本が倒木。幸いにも拝殿、御本殿共に無事であった。切株から推測するに200年は経っていたと思われる。現在は注連縄を巡らしている。
祭事・行事
■ 歳旦祭 1月3日
御本殿での祭事後、山乃神社に参り、林業事業者の参拝がある。
■ 例祭 10月24日
■ 除夜祭・大祓 12月末
【ねりごめ】
お正月の際に各氏子宅よりうるち米を水ですり、それをついたものを持参し、折敷につめる。御本殿と山乃神社(磐座)に供えをする。神事終了後、直会として神火で炙って少しづちぎり、頂戴する。
境内社
■ 山乃神社 御祭神 大山津見神
各神社鎮座地