境内のご案内
大歳神社が鎮座するのは、西山の麓長岡京市に隣接する西京区灰方町。
古代には石棺を造り、良質な石が採れていた石作郷、善峰川の上流に豊かな自然が残る杜の中に鎮座しています。
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御本殿
京都府暫定登録文化財
一間社流造、身舎側面一間、浜床・浜緑付、組物出三斗、向拝連三斗、中備蟇股、向拝繋海老虹梁、妻叉首組、銅板葺、元禄3年(1690)造立。昭和16年以前の御本殿は、延宝8年(1680)造立の御本殿が老朽化したため、皇紀2600年記念事業として昭和16年12月、長岡天満宮より拝領し、長岡天満宮所蔵の棟札写しによれば、元禄3年5月の建立、大工は西京の北村市兵衛重之、同利兵衛政重が勤めたという。本殿はかなり大型の一間社流造で、その造りは堅実である。身舎内部に半柱を立て、幣軸板扉を構えて内陣外陣に分割する。外陣正面は開放。蟇股・ 象鼻・拳鼻・海老虹梁などで飾るが、あまり派手なものではない。幣殿板扉の飾金具は洗練された意匠をもつ優品である。千三百年祭(平成30年)の節目に、改修工事が行われ装いも美しく整えられました。 平成30年3月、京都府暫定文化財に指定された。
移築前の御本殿(昭和10年頃)
御本殿棟札写し
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拝殿
延宝8年(1680)再建。安政3年(1856)の棟札があり。
屋根改修(昭和53年)。株式会社ダイカメ山本勇氏により、新しい瓦によって屋根再改修(平成2年10月)。
旧瓦は文化2年(1805)8月、五位川瓦師源兵衛の名があった。阪神淡路大震災(京都震度5)が発生。拝殿が傾き、燈籠全倒の為修理。京都府文教課、京都市文化財保護財団、神社庁より補助あり。(平成7年1月)
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末社 大神宮社
御祭神 天照大御神
水谷保氏により社殿新築寄進。(平成4年1月28日)
御鎮座千三百年祭記念事業として基礎部分補強工事。(平成30年9月)
末社 春日社、西宮社、向日社、稲荷社
春日社 御祭神 武甕槌命、天児屋根命
西宮社 御祭神 蛭子命
向日社 御祭神 玉依毘売
稲荷社 御祭神 宇迦之御魂神(写真左手より)
4社を覆屋根で囲む。文化12年(1815)に建築されたものと思われた屋根が腐朽したので、株式会社ダイカメが新築寄進。(平成6年)春日社、西宮社、向社、稲荷社、山本勇氏、各社殿新築寄進(平成30年4月)
末社 天満宮社
御祭神 菅原道真公
水谷保氏、塚本清司氏、本殿寄進。(平成3年2月)
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神門
中門改修にあたり伊勢の神宮、外宮より古材を頂いて使用。京都府文教課及び京都市文化財保護財団の資金補助があり。(平成7年3月)
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神楽殿
旧神楽殿は昭和25年9月3日に襲った台風により被害を受けて倒壊。再建を望みながら毎年秋の氏子祭にはコンパネで仮舞台を作り、紅白幕を張り、伝統ある金剛流能奉納行事は絶やすことなく守って来た。 倒壊から60余年を経て平成25年、氏子崇敬者の篤志により再建できた。
設計 上田一級建築設計
施工 株式会社ダイカメ
旧神楽殿絵図(明治32年)
旧神楽殿写真左(大正4年頃)
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鳥居
一之鳥居(南側・手前)
右 栢森大明神
左 元禄14年(1702) 年3月吉日
この鳥居は小塩(鳥居道・神社参道)から神社に向かう入口にあったが、 車大型化と共に社前に移したもの。
二之鳥居(北側・奥) 明治33年
灯籠
本殿の東側燈籠
表面 栢大明神
横面 宝永5年(1708)正月 願主小塩村若中
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遥拝石
早尾神社旧鎮座地である。氏子数が少く管理不充分の理由から灰谷より大歳神社境内に移遷された(明治11年8月)。しかしながら、氏子の熱意により現鎮座地(西京区大原野灰谷丸尾1)に遷す。(昭和20年)
昔の絵図(明治32年)には境内に早尾神社が鎮座している様子が描かれている。
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手水舎
井戸屋形棟札
弘化3丙午年(1847)7月 従五位下伊勢守 藤原正之
願主 河田治兵衛、長嶋茂右衛門
台風時に一部毀れ、古木のみで組んで立て直したと思われる(昭和25年)
基礎石及び屋根板を新瓦にし葺替。山本勇氏寄進(平成6年8月)
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狛犬
石製狛犬 拝殿
堀溝風土化のため解読不能。奉納年不明。
青銅製狛犬 幣殿内
(左)明治36年1月 願主 中路重左衛門、髙木勝治郎、長谷川新兵衛、前川八左衛門、長尾政吉(当村)
(右)明治36年1月 竹内治三郎(京都)、近藤房治郎(松室)、北畑辰治郎(久我)
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社務所・授与所
ご参拝の皆様をお迎えする建物で、御札、御守、御朱印などをお受けできます。純和風の佇まいの社務所は、氏子崇敬者またご祈祷の方の控えの間、会合の間となっています。
授与所は毎月1日9時から14時ごろまで開けています。後は祭礼が行われる時など不定期で開けています。
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鳥居道
神社前の道は鳥居道と呼ばれ、参道であった。小塩町の入口にあった鳥居は道路拡張により神社前に移した。灰方町に住む人々は素焼の土器が出た通称「稲荷山」、「鳥居道」及び「向山」の字名の山に住んでいた。小塩、灰方の人々は善峰川を「御手洗川」としてここで口をすすぎ、手を清めてこの道を通って参拝したのであろう。平成6年頃に寛永通宝のお金が稲荷山から出土した。
市道拡幅工事のため、境内の一部を提供し、その機会に境内と歩道の境に、石玉垣151基を新設した。(平成14年)
施工 岡崎石工団地協同組合
大杉
神社前に杉2本(周囲五メートル位)があり、老人衆によって注連を一本ずつ周りに巻き付け ていた。この杉は昭和25年の台風で神楽殿と共に倒壊した。これは御影石等運搬して来られなかった時の日本の鳥居の元である。倒れた杉の年輪は、東の木は870年、西の木は970年であった。昔の絵図にはこの大杉が描かれている。